36cm一式徹甲弾 |
展示されている砲弾は、昭和17年(1942年)10月13日夜、ガダルカナル島飛行場の砲撃に参加した挺身隊の第3戦隊の「金剛」「榛名」が発射したものである。 |
砲弾の祖国帰還の経緯 展示されている砲弾は、1983年8月ガダルカナル島内の戦跡にて発見されたものである。 その後、関係者によりこの砲弾を祖国に帰還させるための努力が重ねられ、1985年2月に40余年振りに祖国に帰還したものである。 帰還後、海上自衛隊が調査を行った結果、「金剛」または「榛名」が発射した一式徹甲弾であることが確認された。 そこで挺身攻撃隊として、当時の作戦に従事した有志が集い保存会を結成し、永く後世に伝えることとした。 なお、展示されている砲弾が損傷しているのは、不発弾処理によるものである。 また、砲弾が傾いている方向はガダルカナル島を指している。 |
砲弾の戦歴 日本海軍が1942年8月ガダルカナル島に建設した飛行場は、我が航空部隊が進出する直前に連合軍の奇襲上陸により奪取された。 この飛行場の確保が大東亜戦争の天王山と判断した両軍は、その争奪を巡って死闘を繰り返した。 日本海軍は陸軍のガダルカナル島総攻撃用の兵員および軍需品の高速輸送を支援するため艦砲射撃による飛行場の制圧を計画した。 1942年10月13日夜半、挺身攻撃隊として編成された軽巡「五十鈴」、駆逐艦「親潮」「早潮」「黒潮」「海風」「江風」「涼風」「高波」「巻波」「長波」、戦艦「金剛」「榛名」はガダルカナル島に肉迫し「金剛」「榛名」の主砲を以って合計918発にのぼる砲撃を加えた。 この猛攻によりガダルカナル島飛行場は一面火の海となり、我が高速輸送船団は無事にガダルカナル島に突入し揚陸に成功した。 |
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