スポッターズ的ひこうき写真館                                                 城


高知城

高知城

北緯33度33分39秒 東経133度31分54秒

高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦を築いて南朝方に味方して戦った記録がある。

戦国時代の天正16年(1588年)、土佐の国主であった長宗我部元親がここに築城して、岡豊城(南国市)から移ったが、城下が低湿地のため水難に悩まされ、3年ほどで浦戸に移った。

期間が短く、その規模や構造は明らかではない。

現在の城郭は、慶長5年(1600年)の関が原の戦いの功績を認められて、土佐の初代藩主となった、山内一豊によって慶長6年から築城され、2年後主要部分が完成したが、全体の完成には10年を要した。

享保12年(1727年)追手門など一部を残して焼失、宝暦3年(1753年)元の姿に再建された。

明治6年(1873年)いち早く都市公園としての整備が進められて廃城を免れ、追手門と本丸の全構造物を残して県立公園として発足した。

全国に残る12の旧城の一つで、築城当時の複雑巧妙な縄張りを残す石垣、豪壮な木割りの追手門、規模は小さいながら優美な姿を誇り南海道随一の名城とうたわれた天守閣、それに付属する本丸御殿をはじめとして、本丸の全建造物が完全な姿で残されているのは、全国でも高知城だけである。

昭和9年(1934年)国宝に指定されたが、昭和25年(1950年)に文化財保護法が制定されたことに伴い、現在は15棟の建造物が重要文化財に指定されている。

また、昭和34年(1959年)城跡一帯が史跡に指定された。

戦後は、各建造物の解体修理に着手、追手門は昭和26年(1951年)に、天守閣は昭和30年(1955年)、その他の建造物は昭和34年(1959年)3月にそれぞれ改修竣工した。


主要諸元
別名 鷹城
所在地 高知県高知市丸の内1−2−1
城の種類 平山城
築城者 山内 一豊
築城年 慶長8年(1603年)
天守構造 木造3層6階
石高(最終藩主) 24万石


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KOHCHI Castle