日露戦争の経験に基づき、明治41年に四一式山砲として制式化された。 純国産で構造、機能、分解、組み立てが簡単な火砲である。 6頭の馬に分載運搬が可能で射撃操作も容易かつ命中精度も高かったが、 射程が短いという欠点があった。 満州事変において威力を発揮し太平洋戦争終了まで使用されていた。 |
主要諸元 |
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口径 | 75mm |
砲身長 | 1,300mm |
砲身重量 | 100kg |
最大射程 | 6,300m |
製造場所 | 名古屋陸軍兵廠 |
IJA | Imperial Japanese Army |