北緯38度09分27秒 東経140度16分34秒 | 2009年 | ||
2020年 |
上山城は、室町時代の応永年間初期(1400年前後)に、羽州深題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、上山殿と称し虚空蔵山に築いたのが初めとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡城とも呼ばれていた。 永正11年(1514年)には、伊達稙宗に攻略され、翌年和睦し返還、5年後にに再び攻略されたが、天文4年(1535年)長の子孫武衛義忠が挙兵して奪還した。 同年高楯城を廃して、新たに天神森に平山城を築き、月岡城とも称した。 その後、城主は武衛氏三代、里見氏、元和8年(1622年)最上家改易後、能見松平氏、蒲生氏などを経て、土岐氏二代が領した17世紀の後期には、城郭として最も整備され、白壁をめぐらし、後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、小藩(2万5000石)ながら奥羽の名城と称されていたと伝えられている。 しかし、元禄5年(1692年)土岐氏が転封直後、幕府の命により跡形もなく破壊された。 以来、上山藩は金森氏、藤井松平氏(3万石)10代の治領下で170余年間、代々城の再建が宿題であったが、明治維新まで一部を修復するに止まり、再築されることはなかった。 周囲の城も、明治5年に埋め立てられ、城の西側に僅かに内堀の名残を留めている。 現在の上山城は、昭和57年に旧二ノ丸跡に城郭風の郷土資料館として建設されたものである。 |
主要諸元 |
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別名 | 月岡城 |
城郭構造 | 平山城 |
天守構造 | 不明(鉄筋コンクリート造模擬) |
築城主 | 武衛義忠 |
築城年 | 1535年 |
主な改修者 | 松平(能見)重忠 |
主な城主 | 上山氏、小簗川氏、藤井松平氏ほか |
廃城年 | 1873年 |
遺構 | 石垣、土塁、堀 |