緑の村 福島県 猪苗代町 北緯37度33分41秒 東経140度04分26秒 |
2010年 | |||
2017年 | ||||
展示されているディール機関車および客車は、旧沼尻鉄道で走っていたものである。 沼尻から東へ4km程入ったところに沼尻鉱山があった。 1888年から硫黄の採鉱と製煉が開始され、1907年に本格的な事業拡大を図って増資されて日本硫黄株式会社が設立された。 採鉱製煉した硫黄を磐越西線川桁駅まで運ぶため耶麻鉄道が誕生し、軌間609mmの人車軌道が敷設された。 しかし、軌道の勾配、曲線あるいは橋梁などの障害で人の手で押し歩くことがままならなくなり、1912年軌間762mmの馬車軌道として申請免許変更願いを提出し、同年8月27日付けで認可が下り、翌年4月から川桁までの全線15.6kmの軌道工事が完了し、5月からは貨物および旅客の輸送が開始され、日本硫黄株式会社耶麻軌道部によって管理運営されていた。 1913年7月には動力変更届を申請して、翌年1月に認可が下りた。 直ちにドイツのコッペル社から蒸気機関車2両を購入して、輸送力の向上を図り、1917年には同型の蒸気機関車1両増設して、更に輸送力を増強して1953年まで蒸気機関車を主力に輸送業務にあたった。 1945年1月付けで耶麻軌道から地方鉄道に昇格、日本硫黄・沼尻鉄道として地元はもちろんこと、多くの湯治客などからは「軽便」あるいは「マッチ箱」と呼ばれて親しまれ利用されてきた。 そして、1953年8月蒸気機関車に代わって12tディーゼル機関車2両が導入されて、大幅なスピードアップと運行本数の増便が計られ、1968年10月13日の最後の運行まで15年間働き続けた。 以後、1989年まで地元の有志により大切に保存されていたディーゼル機関車(DC121)および客車(ボサハ12)2両を一部修復して展示することになった。 1907年から1968年まで、人車軌道から馬車軌道、そして地方鉄道に移り変わったものの、実に61年間の長きに亘り地域発展のために寄与した。 |
主要諸元(DC121) |
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形式 | DC12形サイドロッド式ディーゼル機関車 |
軌間 | 762mm |
自重 | 約12t |
最高速度 | 時速34.1km |
最大出力 | 140HP |
ブレーキ装置 | 空気ブレーキおよび手ブレーキ |
製造所 | 協三重工株式会社 |
主要諸元(ボサハ12) |
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形式 | 木製2軸ボギー客車 |
定員 | 50名 |
自重 | 約3.8t |
ブレーキ装置 | 手ブレーキ |
ボギー形式 | ダイヤモンドアーチバー式 |
軸受 | 平軸受 |
製造所 | 丸山車輌株式会社 |