明治8年に歩兵第十四連隊が小倉に設置された。 明治18年には小倉城松の丸跡に既設の第十四連隊と福岡の歩兵第二十四連隊を管轄する歩兵第十二旅団本部が開設された。 ついで明治29年、西部都督部が歩兵第十二旅団本部跡に開庁した。 明治31年、これらの隊と下関要塞砲兵連隊ならびに北方に創設された各隊をもって第十二師団が生まれ、その司令部庁舎が小倉城本丸跡に建てられた。 保存されている煉瓦造の正門は、当時のもので、明治32年6月から約3年間、第十二師団の軍医部長を務めた森鴎外もこの門を通って登庁した。 なお、司令部は軍縮により大正14年久留米に移動した。 |
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