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咸臨丸(模型)

咸臨丸(模型)
咸臨丸の眠るサラキ岬
北緯41度42分06秒 東経140度31分24秒



咸臨丸は、1857年(安政4年)にオランダのキンデルダイクで製造され、幕府海軍創世期の主力艦として配備された。

開国の嵐が吹き叫ぶ中、1860年(安政7年)に木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、日米修好通商条約批准書交換目的で渡米する幕府遣米使節護衛目的の随伴艦として太平洋を渡る偉業を成し遂げるなど、幕末の動乱期に日本近代化の歴史的象徴として活躍した。

しかし、過去の栄光とは裏腹に、その晩年は戊辰戦争の渦に巻き込まれ、軍艦から北海道への物資運搬船となり数奇な運命をたどった。

戊辰戦争で破れ、北海道移住を余儀なくされた仙台藩白石片倉小十郎家臣団401名を乗せ、仙台の寒風沢を出航した咸臨丸は、箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日、木古内町サラキ岬沖で座礁した。

泉沢の住民の懸命な救助活動により、乗船者は難を逃れたが、咸臨丸は数日後に破船沈没した。

怒涛の幕末維新を背景に栄光と悲劇の咸臨丸は、現在でもサラキ岬沖に静かに眠っている。


主要緒元
船種 スクーナー型蒸気帆船
推進 スクリュー・帆走
重量 620t
長さ 48.8m
8.6m
馬力 100馬力
速力 6ノット
武装 32ポンド砲×12門


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