戦艦 陸奥の主砲 村立聖博物館航空資料館(長野県 東筑摩郡 麻績村) 北緯36度29分16秒 東経138度04分13秒 |
○戦艦陸奥の主砲を陳列した趣旨 戦争により日本全土の全てのものが悲惨な不幸をなめ尽くしたが、その代表的なものの一つは戦艦陸奥の爆発による最後であった。時に昭和18年6月8日であり、原因不明42mの瀬戸内海に沈み、乗員1,221名が艦と運命を共にし、以来27年間海底にあったものを引き揚げられたがその姿は誠に哀れでありる。戦争による犠牲は再び繰り返してはならない。戦争がなければ絶対に起きない悲惨な現象をよく熟視し今後永久に戦争はやめ平和であることを祈る。そこで平和に徹する象徴として悲惨なる最後を遂げた戦争被害の縮図とも云える戦艦陸奥を代表する主砲を陳列して戦争の悲惨さを回顧し平和に徹する信念を培うことが第一の目的である。 陳列の目的の第二は伝統の重要性を認識することである。戦艦陸奥は日本国の造船技術の粋を集めた世界最強の軍艦であった。当時世界状態は軍縮競争が激しく米英日の軍縮保有比率は5/5/3に定められ、その重圧に日本は苦しんでいた。そこで保有比率は少なくても実力において他国を制圧する必要に迫られ民族の英知と科学の粋を結集して造り上げられたのが戦艦陸奥でこれにより世界列強の建艦競争を断念させた驚異の軍艦であった。この優れた造船技術の結晶がそのまま引き継がれて現在世界第一位を誇る造船技術を有する海運国として造船産業の繁栄をもたらしているが、この原動力は実は戦艦陸奥にあったのである。これを思うとき優秀なる技術は一朝一夕にならず、長い伝統と止まれぬ血のにじむ努力の結晶があって始めて可能であることを銘記しなければならない。 格言 「平和を欲するならば 戦争を理解せよ」 リテルハート |
主要緒元(戦艦陸奥) |
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排水量 | 33,800トン | ||
速力 | 23ノット | ||
上甲板面積 | 6,022m2 | ||
装備 | 主砲 | 主戦用 | 41cm×8門 |
砲身長 | 19m | ||
弾道の高さ | 5,520m | ||
射程 | 40km | ||
小艦破用 | 14cm20門 | ||
対空砲 | 8cm×4門 | ||
魚雷発射管 | 8門 |
艦暦(戦艦陸奥) |
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大正 7年 6月 1日 | 横須賀海軍工廠で起工式 |
大正10年11月22日 | 竣工(建造費 5,783万円) |
昭和 7年10月 | 海軍大演習観艦式 お召艦長門と交替で連合艦隊旗艦となる |
昭和11年 9月30日 | 香港、青島、中南支、トラック島ハワイミッドウェー、ガダルカナルなど各戦に支援出動 |
昭和18年 6月 8日 | 12時15分爆沈 |
昭和45年 8月21日 | 深田サルベージKKにより引揚開始 |