長州砲(八十斤加農砲) みもすそ川公園(山口県 下関市) 北緯33度57分56秒 東経130度57分25秒 |
文久3年(1863年)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃した。攘夷戦である。 翌年8月、アメリカ、イギリス、フランス、オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやって来た。 海峡の最も狭い所に築かれた、この壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしたが、連合艦隊に大敗し、全ての砲台が占領・破壊された。 外国の進んだ軍備に目覚めた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する原動力となった。 長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて損害を与えるものであったが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともにはるかに優れたものであった。 展示されている大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館貯蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)である。 砲身に刻まれた文字は、パリのアンヴァリッド軍事博物館が所蔵している、ほぼ同型の長州製青銅砲の砲身を模刻している。 |
主要緒元 |
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砲身 | 全長 | 3.56m |
口径 | 20.0cm | |
砲架一体 | 高さ | 2.92m |
最大長 | 5.98m | |
最大幅 | 2.6m |