土居原ボンネット広場 石川県 小松市 北緯36度24分19秒 東経136度27分10秒 |
2014年 | |||||
2019年 |
主要緒元 |
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全長 | 21.60m |
全高 | 4.23m |
製造年 | 昭和46年 |
製造 | 東急車輌 |
昭和39年10月、北陸本線は富山までの交流電化が完成し、同年12月には「交直両用特急型電車」として初の481系電車である「特急雷鳥」「特急しらさぎ」が運転を開始した。 食堂車を編成の中間に組み込む11両固定編成は斬新であり威容であった。 そしてスピード感あふれる流線型の先頭車は、後に「ボンネット型」の愛称が与えられ、年々運転本数は多くなった。 昭和44年10月には北陸本線全線が複線電化となり、金沢と首都圏を結ぶ「特急はくたか」も、80系気道車から481系統での運転にスピードアップされ、特急網の進展に初期の目的は達せられた。 しかし、はくたかの経路変更によって、長野を経由する特急列車は姿を消した。 長野軽油を復活させるには、国鉄最大の難所と言われた信越本線「碓氷峠」の急勾配をEF63型電気機関車の補助を得て通過する必要があったが、それまでの485系統を改造する程度では、8両編成が安全上の限界であった。 それでも首都圏と長野・北陸方面を結ぶ、大量輸送可能な特急電車が不可欠となった国鉄は、電車側の運転席から補助機関車へ同時連動制御可能な「協調運転システム」を485系がベースの特急型として始めて開発した。 489系となり、昭和47年から最長12両の固定編成で「特急白山」がデビューした。 これら489系のうち、昭和46年度完成の初期型5編成、10両の先頭車だけが伝統のボンネット型を継承した。 |