プレスアイゼンバーン 東京都 練馬区 豊玉北1-1-12 北緯35度44分03秒 東経139度40分19秒 |
2015年 | |||
千葉市と習志野市にあった鉄道連隊は戦地での迅速な物資補給を行うために設けられた。 日本では1896年に鉄道大隊として発足し、日露戦争後に鉄道連隊となった。 素早く戦地で輸送力の大きな鉄道を輸送、敷設、撤去するために、600mmゲージの機関車とレールと枕木を組み上げたハシゴ状のものを使用する軍用軽便鉄道が導入された。 展示されている機関車はドイツのコッペル社から1921年に輸入された25両のうちの1両である。 急カーブを通過させるために動力は全ての車輪に伝達されるが、最前部と最後部のそれぞれ2輪はカーブに沿って首を振る 構造となっている。 太平洋戦争が終結した1945年を展示されている機関車は千葉市の兵器補給廠で迎え、その後西武鉄道に引き取られて、1947年から入間川の砂利採取線(現在の川越市安比奈)で同型のE16、E103とともに使用されていた。 この活躍も1950年代で終了したが、その後も廃車体として河原に放置されていた。 1960年代末に河原から西武所沢工場に移され、さらに玉川上水の西武運輸の倉庫に移動、1971年から所沢市のユネスコ村でE103とともに保存展示されていた。 1993年「大恐竜探検館」建設のために展示場所を失い、この場所に移動、2007年に建物建て替え工事が始まるまで保存されていた。 その後、静岡県の大井川鉄道に依頼して外観の修復を行ない、2012年8月、東京ビッグサイトで開催された「JAMコンベンション」での3日間の展示を経て、再びこの場所に戻ってきた。 なお、僚機E103は北海道丸瀬布での保存後、2002年ドイツに里帰りし動態復元工事中となっている。 |
主要緒元 |
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全長 | 5.8m |
全幅 | 1.8m |
重量 | 約12t |
製造年 | 1921年 |
製造所 | オーレンシュタイン ウント コッペル社(ドイツ) |