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旧日本軍 掩体壕

千葉県 新茂原駅周辺

北緯35度26分58秒 東経140度18分47秒

昭和16年太平洋戦争が始まる直前の9月に木崎、谷本、町保、新小轡、本小轡内の約150戸と東郷小学校および寺社などが強制移転を命じられ、茂原海軍航空基地(戦略上は海軍二五二航空隊)の建設が始まった。

基地本部跡は萩原小学校、兵舎跡は茂原中学校であり三井東圧化学東側の約1,000m道路は当時の滑走路跡で、基地の東端は東郷保育所の前の通称海軍道路と呼ばれている周辺である。

この掩体壕は航空機を滑走路から誘導路を走らせてきて壕に納め、敵機からの攻撃に備えた壕である。

20数基築造された中では最大の規模で、総面積365m2、壕の中の面積286m2、高さは最大が6m70cmである。

戦時中で基地造成の人手が不足していたため、当時の長生中学校や茂原農学校の生徒、周辺の人たちを動員して造った。

築造方法は、土砂を壕の形に盛って転圧して筵(むしろ)や板を並べ、その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流した。

コンクリートの厚さは30〜50cmと均等ではない。

また、計算通りのセメントが間に合わず、後から付け足した痕跡も観察できる。


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IJA Imperial Japanese Army Wartime Concrete Aircraft Hangars